本日、暗室日和

BC写真大学2回目。

久しぶりに、快適な暗室で写真を焼いてみた。その暗室の、あまりの使いやすさに驚きを隠せない。あの、若かりし頃のキッチン横の、。あの風呂場の、、暗室から比べると天国的な使いやすさである。

ただ、とてつもなく若い頃に、地獄のような暗室で、現像液まみれになりながら写真を焼いていたことは、なんだかんだと素敵な思い出でもある。あの頃、破れかぶれに作ったもののおかげで、私の今があり、きっとこれからがあるのだと感じている。

あの頃、生活費以外の全てのお金を印画紙に変え、まさに格闘するように全身を使って写真を焼いていた。そのヤル気や、何者でもない自分に対する苛立ちを写真へとぶつけている遣る瀬無さや。頭の奥や前やうしろのほうから聞こえてくる、えげつない言葉や。その不バランスな生活の皺寄せである不摂生が、きっと素敵な思い出なのだ。

今、やっとのことで掴んでいる、若手写真家という立ち位置は、まったくもって自分の理想からは程遠く、今から足を踏み入れていく領域は未だに膨大である。だからこそ、あの地獄を忘れるなかれと自らに戒めることにし、この天国を活用できるだけの考えを持ちたいと思っている。そして、もしも天国的な暗室に物足りなさを感じるようならば、今一度、地獄に落ちればよいだけなのだ。






そして、何が言いたいかといいますと
これから、数カ月はモノクロの暗室をやるのだよ。と言いたいのです。




校長はた